日テレのアナウンサーをやめてフリーになった上重聡さん。
元、甲子園での名投手としても知られます。
高校野球の名門・PL学園のエースとして、松坂大輔と闘った雄姿は今も語り継がれるほど。
この記事では、上重聡さんの若い頃のさわやかな画像をたくさんお届けします。
【画像】上重聡の甲子園:松坂大輔との激闘
上重聡さんは1998年、野球の名門・PL学園のエースとして、第70回選抜高校野球大会に出場しました。
準決勝では、同世代の天才投手・松坂大輔率いる横浜高校と対戦しました。
松坂選手は「怪物」と呼ばれるすごい投手だったのです。
1998年夏の第80回全国高校野球選手権大会では、再び横浜高校と準々決勝で激突。
この試合は高校野球史に残る名勝負となり、延長17回にもつれ込む熱戦を繰り広げました。
上重さんは7回からマウンドに上がり、懸命の投球を見せましたが、惜しくも敗退となりました。
こちらの上重選手の笑顔の画像、とってもさわやかでいいですよね!
上重聡の完全試合の画像:立教大学進学後
立教大学に進学した上重さんは、一時期外野手に転向を余儀なくされましたが、2年次に投手に復帰します。
2000年10月22日、東京六大学野球秋季リーグ戦で、36年ぶり史上2人目となる完全試合を達成する偉業を成し遂げました。
この時の記念球は、野球体育博物館に展示されています。
野球体育博物館は東京ドーム内にあります。
上重聡のアナウンサーとしての新たな挑戦
大学4年時には主将を務めた上重さん。
プロ野球からの誘いもあったものの、肘の故障に悩まされていたことも影響し、別の道を選択します。
実は、高校時代に甲子園でインタビューを受けた経験が、アナウンサーを目指すきっかけとなりました。
日本テレビに入社後は、プロ野球中継や情報番組で活躍。
日テレの看板情報番組『スッキリ!!』の司会や、ダウンタウンDXなどで人気アナウンサーとして活躍しました。
高校球児時代と比べると、すっかりアナウンサー業が板についた様子ですよね。
ですが2015年、港区の1億7000万円の超高級マンションを無利子融資で購入するなど、「利益供与」の疑惑がでてしまいました。
ご本人も謝罪されています。
その後、21年間の局アナ生活を経て、2024年3月末に退社し、フリーアナウンサーとして新たな挑戦を始めました。
フリーアナウンサーとしての上重聡:楽しみと苦労
2024年3月に日テレを退社し、上重聡さんはフリーアナウンサーとして活動しています。
日テレ退職直後は、仕事がまったく入らないなどの苦労もあったようです。
退職金も思ったより少なかったとのこと。
ですが、仕事にはやりがいを感じているとも語っています。
2024年11月、マスターズ甲子園でPL学園OBとして26年ぶりに甲子園のマウンドへ。
最速120キロを記録し、打者4人を完璧に抑える投球を披露しました。
さすがですね。
「甲子園の風景、景色をもう一度見てみたいと思った。幸せでした」と、感慨深げに語りました。
上重聡の若い頃と新たな挑戦【まとめ】
上重聡さんの甲子園時代から、フリーアナウンサーになった画像を見てきました。
いかがでしたでしょうか?
フリー転身後は、YouTubeなどで野球関連の活動も精力的に行っています。
松坂世代の野球仲間との交流や、様々な球団の選手との対談を通じて、野球への深い知識と愛情を伝え続けています。
今なお野球を愛し続ける上重さん。
プレーヤーからアナウンサー、そしてフリーアナウンサーへと、常に新しい挑戦を続ける姿に、多くのファンが熱い視線を送っています。
これからのさらなるご活躍に注目ですね。
*上重聡さんと同じ、名門PL学園の出身者と言えば立浪和義監督です。こちらの記事もご覧ください。