メディア界の巨人と呼ばれた渡辺恒雄氏。
読売新聞グループの代表取締役主筆、また読売巨人軍のオーナーとして、戦後の日本に大きな影響を与えました。
その一方で、家族思いの一面も持ち合わせていました。
8歳で父を亡くした幼少期、101歳まで生きた母の教育、そして62年連れ添った妻との絆。
渡辺恒雄の家系図が驚き!妻は大名家出身の女優で厳しい母は101歳で死去
渡辺家の知られざる素顔に迫ります。
渡辺恒雄のプロフィール
渡辺恒雄(わたなべ・つねお)さんは、1926年5月30日生まれ、2024年12月19日に98歳でなくなりました。
東京府豊多摩郡(現・東京都杉並区)の出身です。
歯に衣着せぬ発言でも知られますが、パイプがお好きでおしゃれな方というイメージもあります。
学歴を見ると大変なエリートです。
開成中学校から東京高等学校を経て、1945年に東京帝国大学文学部哲学科に入学。
戦時中は陸軍に徴兵され近衛師団に配属しました。
戦後、1950年に東京大学新聞研究所を修了しています。
1950年、読売新聞社に入社、政治部記者として頭角を現しました。
1991年に読売新聞社社長、1996年に読売ジャイアンツのオーナーに就任しています。
2016年からは読売新聞グループ本社代表取締役主筆を務めた。
「ナベツネ」の愛称で親しまれ、メディア界のドンとして知られた。
渡辺恒雄の両親と兄弟
では渡辺恒雄さんのご両親と兄弟について見ていきましょう。
父は若くして他界した銀行員
渡辺恒雄氏の父・平吉さんは、不動貯金銀行(現りそな銀行)に勤める銀行員でした。
ですが、恒雄氏が8歳の時、自宅の玄関で突然吐血し、胃がんの診断から1週間後に47歳の若さで他界します。
平吉さんは11軒の貸家を遺し、これが後の家族の生活を支える基盤となりました。
厳格な母は101歳で他界
母・花さんは、夫の死後、5人の子供たちを育てる重責を担います。
花さんはキリスト教の信仰を持ち、長男である恒雄氏に対して
「お前は総領だ。だから勉強して偉くならないかん」
と常に励まし続けました。
その教育方針は厳格でしたが、101歳まで長寿を全うした母は、息子の成功を見届けることができました。
母の兄弟も銀行界の重鎮
渡辺恒雄氏の母方の兄にあたる柳井信治氏は、不動貯金銀行(現りそな銀行)の重役として活躍した人物です。
平凡な家庭に生まれながら、苦学して銀行マンとしての地位を確立。
その後、重役にまで上り詰めました。
渡辺氏の父・平吉氏も同じ不動貯金銀行に勤めており、一族と銀行の縁は深いものでした。
また、母方の親戚には不動貯金銀行の創設者・牧野元次郎氏がいます。
牧野氏は現在の君津市にあたる旧久留里藩士の子として生まれ、一橋大学卒業後、千葉銀行(旧成田銀行)に入行。
その後、不動貯金銀行を創設し、「ニコニコ貯金」の愛称で知られる「三年貯金」制度を確立しました。
庶民目線の銀行経営で知られました。
このように、渡辺氏の母方には銀行界の重鎮がそろっていました。
渡辺恒雄氏はすごい家系図のなかにいるわけですね。
5人兄弟の長男
渡辺恒雄氏は5人兄弟でした。
恒雄氏は三番目で、長男。
だからお母さんに「総領だ」と言われたわけですね。
上に2人の姉、下に2人の弟がいる家族構成です。
銀行系エリート家系の中で育った兄弟姉妹は、それぞれが独自の道を歩んでいったようです。
ただ、他の兄弟姉妹に関する詳しい情報は公になっていません。
渡辺恒雄の妻は大名家出身の元女優
1955年、渡辺恒雄氏は鍋島篤子さんと結婚します。
篤子さんは佐賀藩主・鍋島家の分家に生まれ、東宝の女優として活動した後、モデルに転身していました。
2人の結婚生活は62年に及び、篤子さんは常に渡辺氏の活動を支え続けました。
晩年、篤子さんは認知症を患いましたが、渡辺氏は毎日外出前にキスをするなど、変わらぬ愛情を注ぎ続けました。
2017年、篤子さんは87歳で永眠します。
渡辺恒雄の長男と孫
2人の間には1959年生まれの長男・睦さんがいます。
名前の「睦」の字は、渡辺氏が親交の深かった政治家・大野伴睦氏から一字もらったものです。
睦さんは青山学院大学経済学部を卒業後、三井信託銀行(現・三井住友信託銀行)に入行。
同期の中で最も早く部長職に昇進し、「中央三井の出世頭」と呼ばれるほどの手腕を発揮しました。
その後、三井住友信託銀行の専務執行役員として活躍しています。
大変なエリートですね。
また、お孫さんもいらっしゃるようで、2019年に高校生だったようです。
2024年現在、大学生か社会人だと考えられます。
渡辺恒雄さんの肩をもむなど、おじいちゃん思いだったようです。
*渡辺恒雄氏と堀江貴文氏の不仲についてはこちらの記事をご覧ください。
【まとめ】渡辺恒雄の家系図がすごい!
このように渡辺恒雄氏の人生は、早くに父を失いながらも、強い母の教育と家族の支えによって形作られてきました。
妻・篤子さんとの深い絆、そして子や孫へエリート家系が継承されています。
メディア界の重鎮として知られる渡辺氏ですが、その原点には常に家族との関係があったのです。
渡辺恒雄さんは生前、理想の亡くなり方についてこう語っていました。
理想の死に方、これは達者でポックリ、意識しないうちに死ぬというのが良いに決まってる。
この部屋(主筆室)で死んでいて、秘書が発見する。これなんか、いいんじゃないか。
2024年12月に他界されました。ご冥福をお祈りいたします。
*渡辺恒雄氏が意気盛んだった頃の堀江貴文氏との騒動についてはこちらの記事をご覧ください。
*DeNAオーナーの南場智子さんの家族構成についてはこちらの記事をご覧ください。