岩佐真悠子さんが16歳の頃、テレビ東京「大人のコンソメ」でおぎやはぎの小木博明さんの対決し、放送事故伝説となりました。
「ゴッドタン」での2人につながる出来事です。
なんとその対決は20年もたった今でも語り継がれています。
この記事では、
岩佐真悠子が小木博明と喧嘩ガチ?深夜番組での放送事故伝説
と題して、やんちゃと言われた岩佐真悠子伝説に詳しくせまっていきます。
【動画】岩佐真悠子と小木博明が深夜番組でマジ喧嘩!
ミスマガジン2003でグランプリを獲得した岩佐真悠子さんが、テレ東深夜番組「大人のコンソメ」の「ブルードラゴン」というコーナーに登場しました。
岩佐さんは、16歳ながらすでにグラビアアイドルとして人気急上昇中。
落ち着きのある受け答えと毒舌キャラで注目を集めていました。
対するは、おぎやはぎの小木博明さん。
当時、毒舌キャラとして既に確固たる地位を築いていた実力派芸人でした。
若手芸人のカリスマ的存在だった小木さんと、新人とは思えない落ち着きを見せる岩佐さんの対決に、スタジオは期待に包まれます。
岩佐真悠子と小木博明の喧嘩心理戦
「ブルードラゴン」は、相手を口撃して屈服させ、目の前の青汁を飲ませることができるかを競うコーナーでした。
対決開始直後、小木さんは岩佐さんに対してセクハラまがいの発言を含む暴言を連発。
しかし岩佐さんは終始笑顔を保ちながら、これらの挑発を完全にスルーし続けます。
その後、攻撃が通用しないことに気付いた小木さんは、突如、
「2、30分、ダンマリするんだよな」
と宣言。
この時、岩佐さんは小木さんの相方の矢作兼さんのもとへ駆け寄り、小声で
「マジやっていいっすか!?」
と戦闘許可を求めたと言います。
この言葉が、後の伝説の始まりとなりました。
岩佐と小木の喧嘩に佐久間宣行プロデューサー愕然
そこから番組は、誰も予想しなかった展開を迎えます。
小木さんの「ダンマリ作戦」に対し、岩佐さんも完全沈黙で応戦。
スタジオには異様な緊張感が漂い始め、約1時間にわたって両者は一言も発しませんでした。
制作スタッフは、この状況を打開しようと様々な働きかけを試みました。
ですが、両者とも一切の妥協を許しません。
画面には「1時間経過」というテロップが表示されました。
佐久間宣行プロデューサーは後にこの収録を「史上最低の収録」と評することになります。
このような内容でしたので、放送に向けた編集作業は困難を極めました。
佐久間プロデューサーは、何とかバラエティーとして成立する内容に仕上げるため、様々な工夫を凝らしたと言います。
オンエアを見た小木さんは、
「助かった」
と胸をなで下ろしたそうです。
この「放送事故」とも言える展開は、後の人気番組「ゴッドタン」を生み出しました。
「ゴッドタン」は、この「ブルードラゴン」コーナーの発展版として2005年に誕生したのです。
新しい形のバラエティー番組として、長年にわたり支持を集めることになりました。
そこには岩佐真悠子さんと小木博明さんのガチ対決があったということですね。
小木博明さんは岩佐真悠子さんが好みのタイプだったらしく、舞い上がってしまったと矢作さんは言っていました。
岩佐真悠子さんの歴代彼氏についてはこちらの記事をご覧ください。
岩佐真悠子と小木博明の「ゴッドタン」仲直り企画
その後、岩佐真悠子さんと小木博明さんには仲直りする機会が生まれました。
「ゴッドタン」のなかで、芸能界で仲の悪い二人を和解させる「仲直りフレンドパーク」という企画が放送されたのです。
この企画の第1弾に、岩佐さんと小木さんが登場したのです。
これは「大人のコンソメ」の「ブルードラゴン」での放送事故になるほどの不仲を解消しようとるする企画ですね。
「仲直りフレンドパーク」では、2人が協力しなければクリアできないアトラクションが用意されます。
番組の進行の中で、最初はギクシャクしていた2人。
ですがゲームを進めるうちに少しずつ歩み寄り、和やかな場面も見られるようになりました。
特に、アトラクション「仲直りバナナタッチ」では、2人が息を合わせてクリアを目指す姿が印象的で、視聴者からも応援の声が寄せられました。
最終的に、完全にわだかまりが解消されたかどうかについては曖昧な部分も残ります。
ですが、少なくとも以前のような険悪なムードは和らぎ、ある程度、仲が改善されたように見えました。
このように岩佐真悠子さんと小木博明さんの仲は、伝説になるほどの展開を見せたのでした。
今でもこちらのようなSNS投稿があるほどです。
『ゴッドタン』をみて芸人になろうと思った。金の国・桃沢「新潟のなんもない田舎の平和な町で過ごしてて、深夜テレビみてたら、小木さんと岩佐真悠子さんがすげぇ喧嘩してるのみて」/『ゴッドタン』1/14
岩佐真悠子の引退
その後、岩佐真悠子さんは芸能界で大活躍しましたが、2020年10月に芸能界引退を発表。
「今後は微力でも直接社会や人様の役に立ちたいという思いから以前から興味のあった介護の仕事に携わりたい」
と表明し、17年間の芸能生活に幕を下ろしました。
2024年12月には、引退後初めて公の場に登場し、4年間の介護の仕事について語っています。
一方の小木さんは、この伝説の対決を今でも語り草にしています。
20年近く前の「放送事故」は、今や伝説の対決としてファンの間でも語り継がれているのです。
*岩佐真悠子さんの引退理由についてはこちらの記事をご覧ください。