ドラえもんの初代声優として国民皆から愛された大山のぶ代さん。
2024年10月に亡くなられました。
若い頃から女優として活躍されていました。
ですが、お子さんを2人亡くす悲劇を乗り越えて、ドラえもん声優として知らない人はいないほどになりました。
この記事では、お若い頃のおきれいな画像をご紹介します。
私もドラえもん大好きでした。大山のぶ代さんのご冥福をお祈りいたします。
大山のぶ代さん死去:若い頃をふりかえって【画像も】
2024年10月11日、大山のぶ代さんが9月29日に老衰のため90歳で亡くなったことが発表されました。
所属事務所によると、大山さんは静かに息を引き取ったとのことです。
では大山のぶ代さんの生涯をふりかえてみましょう。
大山のぶ代さんの生涯:若き日の美貌!
大山さんは1933年に東京都で生まれました。
若い頃の大山さんは、現在のふっくら優しいイメージではなく、きりりとした美しい容姿の持ち主でした。
細面でシュッとした顔立ち、パッチリとした二重まぶたが特徴的でした。
こちらは19歳の若い頃のお写真です。美人ですね!
高校卒業後、劇団俳優座の養成所に入所し、女優としてのキャリアをスタートさせます。
テレビドラマや舞台で活躍し、その演技力で注目を集めていました。
1957年、大山さんは「名犬ラッシー」の吹き替えで声優デビューを果たします。
その後、NHKの人形劇「ブーフーウー」で主人公のブーの声を担当するなど、徐々に声優としての活動の幅を広げていきました。
この写真の左端が大山のぶ代さん、右端が黒柳徹子さんです。
どちらもとってもおきれいですよね!
結婚と子供の悲劇を乗り越えて
1964年、大山さんは俳優の砂川啓介さんと結婚しました。
砂川啓介さんは、「体操のお兄さん」で知られる、はつらつとしたタレントさんでした。
(2017年にお亡くなりになっています。)
おふたりは幸せな結婚生活を折りますが、待望の子供を死産や早産で失うという悲しい経験を二度もします。
大変残念な経験ですが、砂川さんは、
「もし子供が生きていたら、ペコ(大山のぶ代さん)は家に入って、ドラえもんの声優にはならなかっただろう」
というようなことを語っています。
大山のぶ代さんがこの悲しみを乗り越え、仕事に打ち込む姿は多くの人々に勇気を与えました。
こちらの砂川啓介さんの著書に詳しく書かれています。
「ドラえもん」との運命的な出会い
1979年、大山さんは「ドラえもん」のオーディションに合格します。
それから26年間にわたってドラえもん役を務めることになりました。
大山さんの温かみのある声は、全国の子どもたちに親しまれ、ドラえもんは国民的アニメとなりました。
私も大山のぶ代さんの声で育ったので、大好きです。
X上にはこのような貴重な当時の写真も流れていました。
左端が大山のぶ代さんだと思われます。
大山のぶ代さんはドラえもん以外にも、「サザエさん」のカツオ役や「それいけ!アンパンマン」のドキンちゃん役も演じました。
大山さんの声は、日本のアニメ史に深く刻まれていますね。
大山のぶ代さんの晩年と残した影響|まとめ
2015年、大山さんはアルツハイマー型認知症を公表しました。
長年連れ添った夫・砂川啓介さんが介護しましたが、砂川さんご自身も病気になられました。
砂川さんは2017年に亡くなっています。
大山さんは老人ホームで生活するようになり、2024年10月に老衰でなくなりました。
「ドラえもん」テレビアニメ第1期の声優陣の中で、現在ご存命なのは86歳の野村道子さん(しずかちゃん役)1人となりました。
2024年7月には、のび太役を演じた小原乃梨子さんも亡くなっています。
大山のぶ代さんの生涯は、若い頃の美貌の女優から国民的声優へ、そして個人的な悲劇を乗り越えての活躍と、多くのドラマに満ちていました。
その温かな声は、今も多くの人々の心に生き続けていますよね。
SNS上でも、悲しみと感謝のメッセージがあふれていました。
大山のぶ代さんが亡くなられたと知って今こんな感じ…
ドラえもんと分かれた時ののび太がどれだけ辛かったか、少しだけ理解できた気がする…