【画像15選】大山のぶ代さんの若い頃がかわいすぎる!美人女優だった

ドラえもんの初代声優として国民皆から愛された大山のぶ代さん。

2024年10月に亡くなられました。

若い頃から女優として活躍されていました。

ですが、お子さんを2人亡くす悲劇を乗り越えて、ドラえもん声優として知らない人はいないほどになりました。

この記事では、お若い頃のおきれいな画像をご紹介します。

私もドラえもん大好きでした。大山のぶ代さんのご冥福をお祈りいたします。

大山のぶ代さん死去:若い頃をふりかえって【画像も】

2024年10月11日、大山のぶ代さんが9月29日に老衰のため90歳で亡くなったことが発表されました。

所属事務所によると、大山さんは静かに息を引き取ったとのことです。

では大山のぶ代さんの生涯をふりかえてみましょう。

大山のぶ代さんの生涯:若き日の美貌!

大山さんは1933年に東京都で生まれました。

若い頃の大山さんは、現在のふっくら優しいイメージではなく、きりりとした美しい容姿の持ち主でした。

細面でシュッとした顔立ち、パッチリとした二重まぶたが特徴的でした。

こちらは19歳の若い頃のお写真です。美人ですね!

高校卒業後、劇団俳優座の養成所に入所し、女優としてのキャリアをスタートさせます。

テレビドラマや舞台で活躍し、その演技力で注目を集めていました。

1957年、大山さんは「名犬ラッシー」の吹き替えで声優デビューを果たします。

その後、NHKの人形劇「ブーフーウー」で主人公のブーの声を担当するなど、徐々に声優としての活動の幅を広げていきました。

この写真の左端が大山のぶ代さん、右端が黒柳徹子さんです。

どちらもとってもおきれいですよね!

結婚と子供の悲劇を乗り越えて

1964年、大山さんは俳優の砂川啓介さんと結婚しました。

砂川啓介さんは、「体操のお兄さん」で知られる、はつらつとしたタレントさんでした。

(2017年にお亡くなりになっています。)

おふたりは幸せな結婚生活を折りますが、待望の子供を死産や早産で失うという悲しい経験を二度もします。

大変残念な経験ですが、砂川さんは、

というようなことを語っています。

大山のぶ代さんがこの悲しみを乗り越え、仕事に打ち込む姿は多くの人々に勇気を与えました。

こちらの砂川啓介さんの著書に詳しく書かれています。

「ドラえもん」との運命的な出会い

1979年、大山さんは「ドラえもん」のオーディションに合格します。

それから26年間にわたってドラえもん役を務めることになりました。

大山さんの温かみのある声は、全国の子どもたちに親しまれ、ドラえもんは国民的アニメとなりました。

私も大山のぶ代さんの声で育ったので、大好きです。

X上にはこのような貴重な当時の写真も流れていました。

左端が大山のぶ代さんだと思われます。

大山のぶ代さんはドラえもん以外にも、「サザエさん」のカツオ役や「それいけ!アンパンマン」のドキンちゃん役も演じました。

大山さんの声は、日本のアニメ史に深く刻まれていますね。

大山のぶ代さんの晩年と残した影響|まとめ

2015年、大山さんはアルツハイマー型認知症を公表しました。

長年連れ添った夫・砂川啓介さんが介護しましたが、砂川さんご自身も病気になられました。

砂川さんは2017年に亡くなっています。

大山さんは老人ホームで生活するようになり、2024年10月に老衰でなくなりました。

「ドラえもん」テレビアニメ第1期の声優陣の中で、現在ご存命なのは86歳の野村道子さん(しずかちゃん役)1人となりました。

2024年7月には、のび太役を演じた小原乃梨子さんも亡くなっています。

大山のぶ代さんの生涯は、若い頃の美貌の女優から国民的声優へ、そして個人的な悲劇を乗り越えての活躍と、多くのドラマに満ちていました。

その温かな声は、今も多くの人々の心に生き続けていますよね。

SNS上でも、悲しみと感謝のメッセージがあふれていました。

大山のぶ代さんが亡くなられたと知って今こんな感じ…
ドラえもんと分かれた時ののび太がどれだけ辛かったか、少しだけ理解できた気がする…

citrinehappy