神戸出身の斎藤元彦氏は2021年に第53代兵庫県知事に就任しましたが、パワハラ疑惑などで2024年9月に失職。
その後、知事選に再び立候補しました。
彼の経歴の原点は小学生時代の中学受験にさかのぼります。
地元神戸の私立中学に合格できず、この挫折をばねに努力し、東京大学に進学、さらに総務省に入省しました。
この記事では、
斉藤元彦の高校はどこ?
について、深ぼりしていきます。
挫折してもまた這い上がる姿が、兵庫県知事選への再出馬に重なります。
これが斉藤元彦氏のスタイルなのかもしれませんね。
斉藤元彦氏は、中学受験では第一志望校に不合格でしたが、それをばねに努力されたと思われます。
神戸市立若宮小学校に通っていた斎藤元彦氏は、幼少期から「誰もが認める秀才」でした。
真面目な性格で友達関係も良好、小学5年生頃から塾にも通い始めました。
中高一貫校に通うために中学受験をする準備をしていたわけです。
当時から成績は優秀で、地元の名門中高一貫校、六甲学院中学校・高校への進学を目指していました。
ですが入試本番では思うような結果を残すことができず、第一志望の六甲学院中学校に不合格となりました。
これはご本人も認めていることです。
この挫折は斎藤氏にとって人生初めての大きな失敗体験だったと思われます。
その後、両親や教師と相談して、愛媛県松山市にある愛光学園への進学を決めました。
実家はケミカルシューズ製造会社を営む裕福な家庭でしたので、愛光中学校での寮生活も可能だったのです。
斉藤元彦氏の愛光学園での生活は、それまでの神戸での暮らしとは大きく異なるものでした。
中学1年生は8人部屋での集団生活からスタート。
朝は早く、夜は決められた時間まで集団学習室で勉強するという規律正しい生活を送りました。
斉藤氏は中学時代はソフトボール部に所属し、部活動と学業の両立にも励みました。
高校2年生になると、寮長として約800人もの寮生を束ねる重責を担うことになります。
同級生からは「真面目でリーダーシップがあり、悪い噂は一切なかった」と評価されていました。
斉藤元彦氏は、中学受験の挫折を乗り越えて、たくましく中・高校生活を送られたようです。
では愛光学園中学・高校を卒業後、斉藤元彦氏がどのような経歴を持っているのか見ていきましょう。
斉藤元彦氏は高校卒業後、神戸市三宮の予備校で1年間の浪人生活を送ります。
中学受験での失敗体験を糧に、より計画的な受験勉強に取り組みました。
この時期、斎藤氏は「二度と受験で失敗はしたくない」という強い思いで勉学に打ち込んだと言っています。
第一志望校が不合格だった体験は大きなもので、それをばねにしてきた様子がうかがえます。
しっかりと受験勉強に取り組んだ努力が実を結び、東京大学文科2類への合格を果たします。
中学受験での挫折を経験していただけに、この合格は斎藤氏本人はもちろん、家族にとっても格別な喜びとなりました。
東京大学では遊んでしまって留年したようですが、経済学部を経て、高級官僚を目指したのです。
斉藤元彦氏は2002年春に東京大学経済学部を卒業後、総務省に入省しました。
最初の配属は三重県への出向でした。
新潟県佐渡市や福島県飯舘村、宮城県、大阪府など、地方自治体での勤務を重ねました。
学生時代からの野心と総務省での実績が、元大阪府知事で維新の会の松井一郎氏の目に留まりました。
そして2021年の兵庫県知事選への立候補につながったのです。
斉藤元彦氏の高校は愛光学園でした。
愛媛県にある中高一貫私立校で、神戸の親元を離れて寮で生活をしました。
神戸から愛媛に行った理由は、第一志望だった六甲学院中学校に不合格だったからです。
この中学受験での挫折は、結果として斎藤氏の人生に大きな転機をもたらしたようです。
愛光学園での6年間の寮生活で、自律性やリーダーシップをみがいた斉藤氏は、その後、東大・総務省を経て、兵庫県知事となったのでした。
兵庫県知事の時、パワハラ疑惑で不信任の議決を受けて失職しましたが、再び立候補するという不屈の精神が示され、周囲を驚かせました。
人生の早い段階での失敗と克服の経験は、その後の人生における困難に立ち向かう力となったのかもしれません。
兵庫県知事に返り咲くのか、注目が集まっています。
*斉藤元彦氏が石丸伸二氏に似ているという声も!石丸伸二さんについてはこちらをご覧ください。